ニートについて



ニートが大きな社会問題として捉えられるようになってから、かなり経つ。
定職に就かない若者としてのフリーターにさえ慄いていた人々にとって、ニートは更に恐
ろしい存在であろう。


Wikipediaによれば、NEETとは
NEETニート)(Not in Employment, Education, or Training の略称。)とは無業
者。雇用されておらず、学業もしておらず、職業訓練も受けておらず、求職もしていない
無業者のことを指す。また家事手伝いもニートに含まれる。なお、しようとしているができ
ない人(失業者や浪人など)や主婦・主夫、あるいは定年退職者などは含まれない。若
者に多く、引きこもり問題と深く関連している。イギリスにおいて1990年代より就労意識
(意欲)のない人の増加が問題になり、「ニート」と呼ばれ個別対策がとられている。日本
においても増加が問題となりつつある。日本においては2003年には15〜34歳だけで
63万人いるといわれる。』とある。


彼らNEETの発生メカニズムについては、様々な推論がされている。主な立
場は、NEETの心情的な問題に原因を求める立場と、労働社会の構造に原因
を求める立場の二つが挙げられるだろう。
どちらか一方が正しいわけではなく、双方の原因のいずれか、或いは両方を原
因として、NEETは発生すると考えられる。もちろん、私は未知の原因が存
在する可能性は否定しない。




私は、この二つの立場の内、心情的な原因によるNEETの問題の方が、より
深刻であると考える。構造的に失業者が増加すると言う事態も(世界大戦前の
ドイツに似て)問題だとは思うが、失業者の問題は景気の変動とも密接に関係
しており、単純には判断し難い。(中卒者や高卒者の就職難については、改善の
必要があると思う)それに引き換え、心情的な原因については、明確な原因究
明と対策が採られない限り、慢性的に潜在的労働力が低下することを意味する。
これは、少子化問題を抱える現代社会にとって、大きな問題となるであろう。


では、心情的な原因とは、何なのだろうか。
一つには、コミュニケーションへの恐怖が挙げられるだろう。
都市化、核家族化、少子化の諸変化は、子どもから成長過程でのコミュニケー
ション能力向上の機会を奪っている可能性がある。その結果として、社会に出
てコミュニケーションを取らねばならないという状況に身を置くことを忌避し
てしまう感情が芽生えているのではないだろうか。


第二には、自分に対する自身が持てないということではないだろうか。
前述のように、子どもからはコミュニケーション能力向上の機会、つまり実践
の機会としてのコミュニケーションの場が奪われている可能性がある。そうな
れば、彼らにとって自身を計る物差しは学校の成績などの極めて画一化された
ものしかなく、その結果として、自分に自身が抱けないという可能性もある。


しかし、私が最大の問題だと考えるのは、予測可能性である。
現代日本に生きていると、自分の生涯がある程度予測できてしまう。大学を卒
業し、企業に就職、転職を経験し、定年。そして、雀の涙の年金で老後を送る。
企業に就職した時点で、自分の一生が決定すると錯覚することは、大変な恐怖
である。(実際にはそんなはずはない。三井三池炭鉱や、山一證券に就職した
人が、まさかあのようなことになるとは予想していなかっただろうし、世界に
冠たる任天堂も、昔は花札を作る会社に過ぎなかったのだ)
ギリシャ神話の寓話、『パンドラの箱』では、最後に残ったのは「希望」である
という解釈もあるが、「未来を見通す力」のみが箱の中に残されたという説もあ
る。人間は、未来を知ってしまっては生きられないのである。
殊に、金銭で幸福が購えるかの如き思想が蔓延する現代で、「給料を貰う」では
なく、「一生涯で貰える給料の一ヵ月分を支給される」という捉え方をすると、
未来に対して実に暗澹たる気分を抱いてしまうだろう。


では、何故「一生涯で貰える給料額が決定する」というマイナス面ばかりが強
調され、プラス面が予測されないのであろうか。私は、人生モデルの不在がそ
の原因だと考える。


農業や昔の軽工業では、正統的周辺参与学習、つまり「見て覚える」という形
で、仕事も、自己実現の過程も見ることが出来た。つまり、プラスの要素もマ
イナスの要素も一緒に見ることが出来たのである。
また、そこまで遡らなくても、親戚との繋がりやご近所付き合いの中で、身近
に「大人」を感じることが出来たのである。


しかし、今はどうだろうか。
子どもにとって身近な「大人」は学校の教師と塾の講師である。こうした状況
の中で、メディアはほんの一握りの、「特殊な成功者」のサクセス・ストーリー
を報じ続ける。
子ども達にとっては、「サラリーマン」の世界のことよりも、「ミュージシャン」
や「俳優」、「芸術家」、「漫画家」の世界の方が、実感として身近なのでは無い
だろうか。だとすれば、見果てぬ夢を追い続けるフリーターの増加にも一応の
説明が付くのではないだろうか。


今の子どもは、正統かつ多角的に自分の力量を測る機会が与えられ難い情況に
在る。こうした機会は、友達との遊びの中での競争によって与えられるもので
ある。その結果として、身の丈にあった自分像を抱くことが出来、アイデンテ
ィティの無制限の拡散は防がれる。こうした機会が与えられなければ、子ども
は漫画やアニメ、ゲームや小説の主人公への感情移入から、身体性に見合わな
い「超人幻想」を抱き、自分は型にはまらない人間だ、夢を追い続ければいつ
か必ず叶うという蠱惑的な幻想に絡め取られ、「予測される未来」を忌避するの
ではないだろうか。




だが、私はNEETの問題については楽観している面がある。
日本が一億総中流という共同幻想の時代を終え、二極分化の時代に差し掛かっ
ている以上、30年もすれば、エリート意識とハングリー精神のいずれかを持
った存在となっているだろうからである。
果たしてそれが、NEETの問題に頭を悩ませるよりも幸福であるか不幸であ
るかは、私にはわからないが。