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天啓のように閃いた。
卒業論文のテーマは、「肥満の社会学〜肥満というラベリング〜」で行きます。
アジア文化に対する逆差別だとか、インターネットの持つ発言力教化性だとか、
電話・FAXの普及とインターネットの普及に見る情報伝達機器の普及過程と
インターンネット普及の特異性だとか、門徒の社会学だとか、氏子の社会学だと
かは、残念ながら一大学生の力では卒業論文という形には纏まりそうにありませ
ぬゆえ。(本当は、やりたいけれども)
肥満は、ラベリングである側面を持つ。
ラベリングというのは社会学の考え方の一つで、つまり「悪い奴はそいつが悪いん
じゃなくて、周りが悪いって言うから悪いんだよ」という考え方。
「肥満」という状態は医学的に立証できるけれども、「肥満」という言葉の持つ
イメージは、単に医学的なマイナスイメージを上回るネガティブさを持っている。
今現在日本には「肥満」状態にある人は2000万人いる。これは実に六人に一人
が「肥満」状態であることを示している。
しかし、危険な合併症を持つ「肥満症」状態の人はこれよりも遥かに少ない。
太っているということは身体には負担を掛けるが害悪ではなく、キャラクターの
一つである。しかし、「肥満」である人々はあたかもそれが「疾病」であるかの
ように、「治療責任」を無言のうちに突きつけられているところがある。(今、
全く無害であることが証明された「痩せ薬」が無料で提供されるとして、手を出さ
ない「肥満」の人がいるだろうか?)
しかし、かつてはそうではなかった。
和服は「恰幅」の良い人が最も似合うように縫製されているものであるし、太って
いるということは富と権力の象徴であった。
こうした「肥満」に対する認識は、何ゆえ変わってしまったのか?
そういった点から、「肥満」を巡る社会について考察したい。
……これで卒業単位って貰えるかなぁ? 貰えない気がするなぁ(笑)