最近、頓に精神が参っている。
 何が原因かと言えば色々挙がるのだろうけれども、やはり就職だと思う。
 就職しなければならない、というのは当然感じている。
 「男児に生まれたるからには、自らの力で口に糊すべし」とも思う。
 何が問題であるかと言えば、自分のやりたいことが問題なのである。

  教職というのは大いに結構なのだが、合格できる見通しが立たない上に、
 どうにも志望動機に疑問を抱くようになってきている。
 つまり、「刷り込み」なのではないか、という疑問である。
  自分のこれまでに人生を振り返る上で、正義の代行者として存在した
 教師という存在に、既に高校以前の段階から私は憧れていた。詰まる所、
 教師という職業に就きたいのではなく、教師という職業の帯びる属性に自分も
 同化したいという気持ちなのかもしれない、とも思う。
  この点については、内省すればするほどに、分からない。自分が教師に
 なりたいと考え始めた時点から既にかなりの時間が経過しており、正当化も
 それなりに進んでいる。今ここでその奥底に潜む感情を探るなど詮無いこと
 とも思うが、やはり一生涯を賭けて臨むべき聖職に、そう軽々しい気持ちで
 受験するということは、自分が受験することで何らかの影響を蒙ることになる
 将来の学生たちに対して申し訳が立たなくも思う。
  このような考えは女々しいと思う方もいるだろうけれども、それが私であり、
 この壁を越えないことには将来において後悔するのは目に見えている。

  また、浅ましい超人願望が捨て切れていない、というのも問題である。
 なまじ本を読むのが好きであるために他者との同化欲求が強いからか、優れたる
 者になりたいという欲求が捨てきれない。その対象は或いは学者であるし、
 或いは政治家であるし、或いは文筆家である。そういったことを達成するに足る
 努力も研鑽も為してこなかった身が、何を大それたことをと恥じ入る次第である。

  詰まる所、自分の内面を鑑みた時に、何ら進むべき道も定め得ないことが分かる。
 このように精神の薄弱なる者を使おうという奇特なる雇用者は稀であろうし、
 その雇用者と出会うこともまた、輪をかけて稀であろう。そも起業するなどは
 精神の薄弱なるを以って為すべき業ではない。
  今はただ、社会の為に一個の歯車となるべく、少なくとも自分の能力を以って
 為すことの出来る職を探すのみである。