魔法

  現実逃避の手段としてゲームなんぞをやっていると色々と考えてしまいますな。
 特に、魔法なんかは実に面白い。
  そもそもの「魔法」のイメージの源流は言うまでもなく西洋の魔術に起因するもの
 でしょう。この「魔術」はユダヤ教を祖とする一神教大系以前から存在した世界観を
 キリスト教へのアンチテーゼとして纏まったものだと私は理解しています。
  これは儒教に対する道教の関係に似ていると言えるでしょう。理性的な秩序を重ん
 じるものに対して、感情的な自然、超自然への畏敬を基礎に置いたアンチテーゼは殊
 に識字率が低く信仰が聖職者に独占されている環境においては容易に広がり得るので
 はないでしょうか。事実、「魔術」は「錬金術」などの傍系を産みながら確実に現在
 に到るまでの欧州に確実なイメージを遺しています。


  さて、では今日の日本のコンシューマー(電源系ゲームと言ってもいいでしょう)
 はこの系譜を引いているのでしょうか? 私は、NOであると思います。ドラクエ
 以降、或いはそれ以前のウィザードリー以降、ゲームは数値によって容易に表す事の
 出来る「魔法」のイメージを累積してきました。これは「魔術」のイメージを再現し
 易いTRPGなどとは異なった流れと言えます(尤も、近年のTRPGは電源系の影
 響を受け、大いに数値化し易い「魔法」を取り入れていますが)。
  これはゲームの限られた表現力によってもたらされた結果ですが、ゲームの容量が
 増え、プロジェクトが巨大化することによって様相は再び変わってきました。世界観
 に明確な根拠を求めるようになっていったのです。日本のゲーム関係者が北欧神話
 きというのは有名な話ですが、「魔法」にも様々な「説明」が加えられてきました。
 例えばファイナルファンタジー4では最初に創られた「魔法」はブリザドであり、
 津波を防ぐ為に使われたのが最初であるという設定があるようです。また、「地水火
 風」の四元を「魔法」に与えるなどはテイルズオブファンタジア以降、顕著になって
 いるように思います。
  さらに近年では様々なゲームにおいて独自の世界観に基づいた「魔法」の解釈が
 為されています。一々挙げていけば限がありませんが、概ね、世界観の中心に魔法の
 解釈があるようなものが増えてきていると感じています。
  私はこの流れは非常に興味深いと思っています。というのも、リアリティーを求め
 れば求めるほどに、現実の歴史にある「魔術」の要素を取り込みながら、アンチテー
 ゼとしてしか存立していなかった「魔術」の抗するべき秩序が世界観に備わっていな
 いからではないかと私は愚考しているのですが、その辺りは個々人によって感じ方が
 違うかもしれません。宗教やそれに類する秩序に対する理解の違いが、「魔法」に対
 する感じ方を変えるのではなかろうか、と私は思うのですが。


  「魔法」一つとっても判ります通り、世界観作りは大変な作業だと思います。素晴
 らしい世界観を提供して下さるゲーム会社の皆様には、心より御礼申し上げる次第で
 す。