「蛙」?知らない大学生35%(読売新聞)



 大学生の3人に1人は、「春はあけぼの」の意味が分からない――。国立国語研究所の島村直己主任研究員らの研究グループが17日、千葉市で開かれた日本教社会学会でこんな調査結果を発表した。


 この手の記事はしばしば見受けられますが、大学生の3人に1人が「春はあけぼの」の意味が分からない、という調査結果から何を言いたいのでしょうか? 私は別に「日本国に住まう子女の全てが古式ゆかしい王朝文学の素養を持つべし」とは思いませんし、同時に「古臭い古文・漢文なんて歴史の彼方へと追いやってしまえ」とも思いません。けれどもこれほど頻繁にこういった記事を目にすると、些か不審に思ってしまうのが人の常。「彼ら」は果たして何が言いたいのでせうか?


 上に引いた文章を読むと、明確に、「大学生であるにも拘わらず、「春はあけぼの」も知らないというのは実に怪しからん」という意図が汲めます。非常に残念なことに、日本教社会学会のWebPageや、開催校である放送大学WebPageを見ても残念ながら発表の正確な内容は分かりません。しかし、当該発表のタイトルが『大学生の国語力と英語力』という表題であり、25分間の発表であったことは、上に記載した放送大学のWebPageから読み取れます。
 内容が示されていないので憶測に過ぎませんが、『大学生の国語力と英語力』というタイトルの発表が大学生の国語力の低下のみに焦点を当ててなされるというのは考えづらいように思えます。結論としてそこに到るとしても、この記事の書き方は、客観的に見て、過度に大学生の「国語力(実際には国語知識)」の低下を読者に惹起させようとしているように思えてしかたりません。


 それによると、古文では、枕草子の「春はあけぼの」の意味を「春は夜が明け始めるころが素晴らしい」と正答できた大学生は62・9%。松尾芭蕉の俳句「古池や 蛙飛び込む 水の音」の「蛙」について、「カエル」と答えたか、「かわず」という正しい読み方を答えた学生は65・3%だった。


 私はここで「日常生活で「蛙」のことを「かわず」と読むことはないのだから、こんな調査は無意味だ」などというつもりは毛頭ありません。しかし、数ある発表の中で、読売新聞の記者が何故、この発表「のみ」を新聞記事に適当だと考え、何故、こういった一面的な書き方をしたのかという点については強い疑問を感じます。報道は公器であり、新聞は木鐸です。世の人々の問題意識を喚起しようという意思は尊重されて然るべきですが、一面的に過ぎるのは公正さを欠くといえるでしょう。




「関連リンク」


日本教育学会


放送大学


国立国語研究所