Winny(ウィニィー)について

私自身はWinnyを使っていませんし、あまり詳しくも無いのでコメントする立場に無いかもしれませんが、昨今の流出事件云々を見ていて思っていたことなど。


Winnyと言えば、その製作者の逮捕で随分と世間を賑わせたファイル交換ソフトなのですが、製作者逮捕当時は「Winnyが蔓延るとCDやDVDが売れなくなるから良くない」という論調だったのに、今や止めようの無いところまで広がっていることにちょっと驚きました。
もちろん、ロハで音楽データや映画の映像が見られるということは魅力的でしょうが、Winnyの利用にはそれにリスクが伴ってきます。使い方次第では法によって罰せられることもありますし、今回のようにウイルスに感染すれば重要な情報がネット上に「流出」し、事実上回収不能になってしまいます。
恐らくは利用者はこういった危機意識が欠如しているか、極めて低い状態でWinnyを利用しているのかもしれません。インターネットやパソコンに関する知識が不足していれば、危機自体に気が付かないということは大いにありえる話です。


そして何よりも重要な問題は、危機を認識してなお、Winnyを使う人がいるという現状です。つまり、Winnyを使うことによるリスクを甘受してなお、Winnyを使ってデータを得たいという欲求があるわけです。
現在Winnyを使ってやり取りされているデータの主なものは、音楽データ、画像データ、映像データ、ゲームなどですが、これらのデータは市場ではパッケージングされ、商品としての価値を認められて流通しています。しかし、今現在Winnyを利用している人が数多く存在していることを考えれば、最早データをパッケージングして市場で流通させる方法に限界がきているのではないか、という気がするのです。
一般的な感情として、「対価も払わずにデータだけ手に入れるのはけしからん」という感情があると思いますが、これがあと数年もすれば「Winnyでただで手に入るのにお金を払ってデータを買うなんて馬鹿らしい」と考える世代や層が現われてくるのではないかと思います。
この原因の一つは、データは完全な形(あるいはそれに近い形)で複製可能だ、ということでしょう。店で買ったCDも、Winnyでダウンロードした音楽データも、消費者にとって同じ価値を持っているのであれば、それは同じものです。食べ物や家具といった複製不可能な財産と異なり、データはWinnyで得た方が「得」なのです(もちろん、リスクや法的・社会的な善悪は抜きにして)。


格差が拡大する社会が到来しつつあるとはしばしば耳にするフレーズですが、収入がととえ減少しても、その減少分がこれまでCDなどのデータの購入に充てられていた金額以下であれば、Winnyを使えばこれまで通りの生活が出来て「しまい」ます。また、子どもの養育費や老後の貯蓄の為に出費を削らねばならないと考えた時に、娯楽費をWinnyを使って削ろうと考える人も出てくるかもしれません。こうした状況の中で、Winnyの使用が社会通念に照らして正しくない、というだけでは最早Winnyの使用を止めることは出来ないのではないでしょうか。
もちろん、重要データの流出などに対する対策は講じねばなりません。しかし、このままWinnyを規制するのではなく、新しい流通の形を模索せねば、Winnyの問題を本当の意味で解決することは出来ないのではないでしょうか。