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ふと窓の外に目をやると、雨が降り始めていた。
頭の中に用意してあった今日のスケジュールを全て白紙に戻し、枕元の文庫本に手を伸ばす。
頁を繰りながら、私はぼんやりと「ことのはじまり」を思い出していた。
10年経った今でもその年のことを鮮明に覚えているのは、私が今の職場に入社して一年目だったからだろうか。
当時私は大学を卒業したてで社会人としての自覚などくそくらえとばかりに毎晩酒をかっ食らう生活をしていた。
上司の覚えがめでたいわけがあるはずもなく、いつも「はずれくじを引いた」とタバコ部屋でぼやいていたと聞いている。
「今年の梅雨は例年より少し長引くでしょう」
変わった苗字のお天気キャスターがそんなことを言ったのを、「ああ、また西瓜が売れないな」などと思いながら聞いたのは、7月の中ごろだった。
普通ならとっくに「夏本番」という時期なのに、毎日毎日雨だった。
上司にしてみれば気が楽だっただろう。業績不振の責任は、雨天と駄目な部下の所為にしておけばよかったのだから。
そして、梅雨は明けなかった。
気象庁が、
「日本が熱帯になった」
とふざけたコメントを出した時、恐らくは日本中のほとんどの茶の間では事態を深刻にはとらえなかっただろう。
私もそうだった。
暑かろうが寒かろうが、世のサラリーマンは働くし、金を出せばハンバーガーとコーラくらいは買えるだろう、と。
事実、最初の数年は大した影響はなかった。
洪水や土砂災害程度ではニュースが騒がなくなったくらいだろうか。
しかし、段々と状況は変わってきた。
自生する植物が変わり、そこにすむ動物が変わり……
そして、人間も変わってしまったのだ。
「あれ? まだ仕事行かなくていいの?」
ようやく起き出してきた嫁が目をこすりながら不思議そうにたずねる。
私は黙って窓の外を指差した。
「ああ、<ハメハメハ>ね」
「そ、<ハメハメハ>」
通称<ハメハメハ法>が国会を通過したのは、去年のことだ。
内容については、多くを語る必要はないだろう。
FIN