魔法について



 昭和も一〇年となると記憶も曖昧になるが、七八年頃までは私の郷里の村にも
魔法使いの一座が訪れていた。魔法使いと云っても伊奈の寒村を巡業する程度の
小規模なもので、子どもごころに「この魔法は本式ではない」と思っていた。


 村では魔法使いのことを「えぼし」と呼んでいた。
 村に一軒しかない金物屋の隠居が実しやかに物語るところによれば、魔法使いは
朝廷から参殿を許されるので五位の値打ちがあり、よって「えぼし」と呼ぶ、との
ことであった。


 「えぼし」は毎年、暮れの迫った時期にやって来た。
 当時はもう伊奈にもバスが来ていたが、「えぼし」の一団は毎年、馬車で渓谷を
越えてきた。
 この日はどこの家も「えぼし」に振る舞う料理を拵えるので子どもには大変な
ハレの日であった。私の家は揚げを甘辛く煮た物に糯米をササギで色付けした
赤飯を詰める御稲荷を毎年用意していた。
 「えぼし」の見せる魔術が大層立派な時には御稲荷さんと一緒に澄み酒もやった。
お捻りはその分、少ししか呉れてやっていなかったように記憶している。


 魔術と一絡げに云っても、いろいろの種類があった。
 飛んでいる鳥を見えない手で捕まえたり、何もないところに火を熾したりした。
子どもは残酷なものであまり達者でない魔術を遣ると必ず誰かが、
「てづまじゃ、てづまじゃ!」と囃して種がある、魔法じゃないと貶した。
そういう時は「えぼし」はバツの悪そうな顔をして煙草を呑んだりした。






 みたいな魔法もいいんじゃないかと思ったり。日本固有の魔法。